• 梅丸 (神奈川県 小田原市)へのコメント

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    1 我らが小田原市は、日本で輝く 下中から片浦にいたるまで 小田原のあらゆる場所で称え歌うのだ 小田原よ、梅丸よ、我らが新小田原市民歌よ! 2 日本国中の市町村が直面している 我々は日本中に発信するのだ 輝ける小田原市よりささげよう 小田原よ、梅丸よ、我らが新小田原市民歌よ! 『早すぎた小田原の英雄(ゆるキャラ) 市役所の壁画となりて』 「小田原、好き?」  小田原市民にこの問いを投げかけてみると、果たしてどのような答えが返ってくるだろうか?  おそらくは「当り前ですよ」というのが、最も当り障りのない優等生的な答えであろう。しかし、このようなありふれた答えでは、小田原の魔力ともいうべき魅力を語り尽くすには到底ものたりない。  今より二十数年前に、私たちに小田原の魅力を懸命に伝えようとしたキャラがいた。  時代の流れに抗い続け、あまりにも速すぎた時代の流れの中に消えていったそのキャラの名前は、『梅丸』という。 彼は、 「ときめき小田原夢まつり」    そう刻まれた壁画となって、自らの思い出の場所である小田原市役所の一角に、今も眠っている。  ゆるキャラという言葉すらない『ときめき小田原夢まつり』のキャラクターとして西暦1990年2月 兵庫の羽山次郎 氏にデザインされ、名前は同歴同年4月 公募により梅丸と決められた。  ときめき小田原夢まつりは西暦1990年4月から同歴1991年11月までに行われた。  全国的にも早すぎた取り組みを行われ、市役所の壁画や歩道の絵、広報おだわら や 市役所の封筒などに使われおり、ハガキやテレホンカード・人形・はんぺんなどが販売された。もちろん、初代着ぐるみも制作された。  しかし、取り組みが早すぎたため、ときめき小田原夢まつりの終了後はJA小田原市のみかん箱に使われる程度となり、梅干しは年代物が価値が高いことも相まって、あくまでも戦略的に「塩漬け」状態(塩分濃度18%)にすることになったが、そのまま忘れられた。  加藤市長のブログによると同歴2007年には、「梅丸ポリン」が葦子小のふれあいフェスタで使用されていた。  「梅丸ポリン」も上府中運動公園で永い眠りにつくことになり、その存在自体、歴史の霞で消えようとしている。  この一連の事件により、小田原では、革新的な取組みを否定するのが常習化し、この一連の思想を『梅丸の呪縛』と呼んでいる。 ※現在も市役所の壁に剥げた哀愁を誘う姿を見ることができる。尚、引用画像も市役所の壁のものであり、舌が出ているように見えるのは、実は剥げ始めているからである。壁画の塗り直しが望まれること、正しく切である。  地元でも忘れ去られていた梅丸であるが、新世紀も13年が過ぎた西暦2013年夏になって地元の有志らが「不憫すぎる」として、SWOT分析、STP及びロジャースの普及プロセスに基づく復活運動を開始した。  かつてのときめき小田原夢まつりを知る市民や新規認知市民を中心に復活の機運が高まった。  営利目的での使用も可能になり、小田原フラワーガーデン等の小田原市の施設にも梅丸が使われるようになっていた。  西暦同年9月に、まち歩き観光のキャラクターに「梅丸」を採用され、同歴2014年春 復活を望む市民たちの宿願であった2代目着ぐるみが“まち歩き用”として完成した。  4月に東京ソラマチで行われた小田原市のPRイベントでプレデビューした。地元での本格的な登場は、5月の「小田原北條五代祭り」が初お披露目となり、6月には加藤市長も陣頭指揮にあたり、初のテレビ出演となった。  しかし、まち歩き用ということで活動に制限がある模様で、某有名キャラ下積みの時代の様に「保育園や学校を訪問」や「地域のイベント」への参加は難しい。 ※着ぐるみの管轄は、市観光課。  10月30日に小田原市のHP 観光トピックスに 観光PRキャラクター『梅丸』 として掲載され、ときめき小田原夢まつり当時は存在しなかった細かな設定もされるようになった。余談だが、話し方は「~でござる。」だそうだ。 今後は、新小田原市民歌の復活にも尽力してもらいたいこと、切だウメェ~。 『梅丸壁画で逢おう(梅丸復活秘話)』  その男は12月20日生まれの女性と付き合ったことがあった。  女性は文句ッタレなその男の犠牲となり、「ときめき小田原夢まつり」オープニングの4月28日に姿を消した。置き手紙には「ありがとう。あなたと梅丸を忘れることはないです」と書かれていたそうだが、皮肉型のその男に立ち直りの機会を与えてくれた恩人でもあり、泣いているときにも笑っているように見える女性だった。  毎年、市制記念日と4月28日には必ず、梅丸壁画を見に来たその男の姿はもう見えない。 「そりゃ梅丸に決まっているよ」と定食屋のソルトマン。 「梅丸が復活するんだ。市民にすら忘れられ、壁画は剥げている不憫さが好きだったからな」 栄養士の荒ちゃんがしんみりといった。 「去年の市制記念日でやっと梅丸が復活すると決まった時、すごく喜んだわね。」  不憫なキャラが一転、花開き、『ゆるキャラグランプリ』で優勝する夢の詩をあの男は、梅丸に描いた。 「おれは梅丸をゆるキャラグランプリで、某キャラのように組織票してでも優勝させるぞ」と田辺社長。  ほうじゃん佐野はいった。 「あの男のことだ。勝つようにあの世で演出しているさ」  梅丸の着ぐるみの初デビューは北条五代祭りと決まった。  定食屋のソルトマンと田辺社長とほうじゃん佐野の3人は、墓前に梅丸の写真を供えることにした。