東原庠舎(とうげんしょうしゃ)
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多久家の四代領主、多久茂文(たくしげふみ)は多久を治めるにあたり領民の教育が何よりも必要だと考え、まず、元禄12年(1699年)、東原庠舎の前身の学舎を完成させ、そこに孔子像を安置して学問に適した環境を整えました。茂文が起こした東原庠舎は朱子学の学校で、明治になるまで、漢学や和学、武芸などの文武両道を教える場として重要な役割を果たしました。のちに我が国の電気工学の先駆者となる志田林三郎(しだりんざぶろう)をはじめ、明治刑法の草案者である鶴田皓(つるたあきら)、地元や社会事業等に多額の寄付を行った高取伊好(たかとりこれよし)など、東原庠舎から日本の近代化や郷土のために尽くした人物が、数多く輩出しました。また茂文の熱き志は「文廟記(ぶんびょうき)」という書に格調高い文章でつづられています。明治になって新しい学制が施行された前後に東原庠舎は取り壊されましたが、平成3年に当時の面影を残しつつ、現代風に再建され、学校などのクラブ活動の研修場として利用されています。
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